2024.01.26

~古代ギリシアから古代ローマへ 神話からの歴史の遷移はヨーロッパ史躍動の起源~

~古代ギリシアから古代ローマへ 神話からの歴史の遷移はヨーロッパ史躍動の起源~

「古代ローマが語ること。ローマ人にとっての男らしさ」           

時代区分は古代ギリシアから古代ローマへと移行していくのだが、古代ローマの建国自体は紀元前753年頃とされている。古代ギリシアが繁栄する中ですでに存在していた国家としての古代ローマは、ギリシアを統一していたマケドニアを滅ぼすことからその支配、領土の拡大という国の勃興によって表舞台である時代区分として登場したのである。

歴史のバトンはローマに引き継がれた。しかし、ギリシア世界を征服したローマでありながら、ギリシアの古典や神話、文学など「文化的にはギリシアがローマを征服した」といわれる程、ローマはその影響を受けていた。

ヨーロッパ文明の源流でもある、いわゆる「ヘレニズム」は古代のギリシア・ローマ文化におけるギリシア的要素を指すという。

ギリシアからの余韻を感じつつ、ローマ社会の男たちは、どのような影響を受けそして自らの文化を築いていったのであろうか。

<男としての性愛の側面>

古代ローマの男たちを語る時、その特性の頂点に立つものは「男らしいふるまい」である。そのふるまいに紐づく多くの事象が挙げられている。この世に生を受け、成長し成人した大人の男としての多様なストーリーをセクシュアリティの側面から見てみたい。

例えば、少年は性的関係において「女性の」役を果たすという。多くの事柄に対して、まだ男としての特性を満たしていないが故であるが、それは同時に少年に対する別の見識に繋がっている。
かわいい少年は、雪や乳のように色が白く柔らかな肌をした輝きに満ちた白い者たちなのだ。それは女性的な存在として同一視されている。その誘因は、女性としての美しさの象徴が肌の白さであるからだ。
少年たちとの性愛は、それを否としない。やがて少年たちは玄人女の施しによって男としての階段を上るのである。
少年は大人の男の年齢、つまり成年に達すると、大人用のトガを身に着けた。
若い男が身に着けるトガには、その裸身を保護し「隠す」目的があった。また、17歳くらいになると緋色の縁どりと、少年期の象徴である水玉模様の入った「トガ・プラエテクスタ」を脱ぐ。方や、成年服はまっ白である。

「トガ・ウィリリス」は更に露骨な意味、大きなサイズの性器をさす言葉としても使われる。男の尊厳と結び付くその価値基準は、まさしくローマ人らしいといえる。
哲学者、風刺詩人が残した詩を辿ってみると男であれ女であれ、古代ローマ人の奔放なる性の営みについての話題は尽きない。
セックスにおいて男らしいふるまいを表す特性とその行動は数々のエロティックな男の武勇伝を生み出したようだ。当然それは少年や玄人女との性愛にとどまるものではない。

しかしながら、そういったセクシュアリティの領域において、倫理観と無縁であったわけではないようだ。奔放と貞潔の共存。
稀有な例とは思わないが、古代ローマ人であるが故のその際立った性愛の実態は大いに参考になる。

更に人間的な側面にも触れてみたい。「ウィルトゥス」。ラテン語で「徳」という意味である。それは美徳であり男としての価値、そして何よりもまず勇気である。

男らしいふるまいには、精神と道徳に関わるある一定の資質が必要であったということだ。ローマ人の男にとって重要だった勇気。更に徳の領域まで昇華されていた男らしさという価値視点は、男たちの行動自体や生活様式の在り方などに表れ、その繋がりは客観的に理解できる。

<男らしい男の風貌描写>

具体的な男らしさの事例を幾つか触れていきたい。
➊「毛」と男らしさ
❷日焼けした肌
❸男らしい肉体の育成


➊「毛」と男らしさ
例えば、少年から男への変化の象徴として、「髭」がある。男児に最初の髭が頬に生え始める頃、少年の印であった長い巻き毛を切る。また、成人になった息子は父親と風呂に入らず、婿は義父と一緒に湯浴みをしない。古代ローマでは長い間、髭を生やすことは、男らしさの印だと見なされていた。

そんな男たる象徴も変化する。紀元前3世紀頃には、髭を剃るようになった。共和政末期、人々は髭を放棄する。キケロやカエサルの顔は、髭のない状態になっている。
髪の毛を伸ばし、髭を生やしていた時代からの変化は、同時に、体毛によって表される特性も希薄になった。成年男性は、巻き毛の少年とは対照的に髪が短いことで区別されたのだが、一方で過度な脱毛による男らしさの欠如という事実も見逃すことはできない変化である。

脱毛をしている身体についての懸念は想像に難くない。今日におけるメンズエステ、多くの男性が脱毛に時間とお金を費やすこの現実は、ローマ時代のトレンドの変化とどのような相違があるのだろうか。

更に当時のローマでは、脚を脱毛して少年の肌のようにすべすべにすることは「受け身」の男の行いであり、自らの女性性を示す基準であったとある。「柔弱」で「すべすべしている」ことを女性的なイメージとして位置付けているこの時代の特徴を現代はどのように受け止めるべきなのであろうか。

ただそのトレンドも一定ではなかった。歴史を遡った時の変化のスピードとはそのようなものである。2世紀の初め、ハドリアヌス帝によって髭の流行が復活するのである。流行をつくり出す人物は必ず現れるものだ。

❷日焼けした肌
古代ローマの社会では、他人の目にさらされる肉体への意識が強かった。ローマ人男性が人前に出る時、その顔とからだは日焼けしているものとされた。ゆったりとしたトガでほぼ全身を包み、顔だけを露出するようにする。「男らしさ」とは「日焼けしている」ことなのだ。

一方、女らしさの印は肌の白さであった。女性たちは、本質的な美の基準を肌の色の白さと考えていた。これまで白くなりたいという切実な願望を叶える為に様々な国で多くの製品が生み出され、使われてきた。美白はいつの時代も美しさの証として追求され続けてきたのだ。

対照的なのが男の日焼けした肌である。ローマ人は、運動にいそしむことでブロンズ色の肌を手に入れた。だが、男らしさの資質の一つであったその日焼けした肌も帝政期になると、ある種の人々にとっては、性癖に通じるものもしくは強迫観念として否定されるまでになった。この辺も時代を超えた共通性を感じる部分である。日焼けの流行に留まらず、これまでも列挙してきた幾つかの項目は、現代社会にも身近に感じることであり、歴史の普遍性と人間としての本能に近い欲の原点を垣間見るようである。

❸男らしい肉体の育成
男らしい肉体とは、どのような身体のことをいうのであろうか。古代ローマにおける男らしい身体とは「戦士の肉体、スポーツ選手の身体」のことだ。我々でも容易く理解できる。実際、古代の彫像は戦士やスポーツ選手に類似する像が数多く存在している。ローマ人は、男らしい身体とブロンズ色の肌を練兵場での鍛練によって、自然なかたちで獲得した。また野外でのスポーツによって手に入れるものでもあった。すなわちローマでは、男らしい男の身体を獲得することにおいて、練兵場での鍛練やスポーツをすることがそれぞれ密接な関係にあったのだ。

例えばスポーツは、ローマ人としての特殊な文化的価値観を有していた。スポーツをする上での指標として、ギリシアの地でのオリュンピア競技会があった。そこでの「優勝」は並々ならぬ栄誉であり、軍功に勝るとも劣らぬ功績であった。ただし、公衆の前で自らを見世物にする競技会という環境は、ローマ人にとって恥知らずで下劣なやつという評判にも繋がっていた。帝政期においてもその事情は変わらぬものであり、誇り高きローマの寡頭政治家たちは大衆の面前での競技会への参加を禁止した。それは、市民の側からするとスポーツのトレーニングを頭から否定されることにも繋がり、如いては軍事訓練の妨げであり、行き着くところ男らしさの欠如をもたらす要因にさえなったのである。

このように身体的訓練やスポーツによる運動は男らしい身体をつくる上で重要な役割を果たした。同時にそこで獲得された男らしい肉体は、若者が狩猟や戦争へ参加する為の下地づくりであったようだ。

<男たちの社交場 共同浴場>
帝政期になると、共同浴場が「ローマ時代の体育場」となり、「マルスの野(ローマ郊外チベル川流域の野。本来牧場で軍隊の教練や兵員会の為に使用された)」と人気を二分するようになったという。

共同浴場は、映画にもなった漫画「テルマエ・ロマエ」で馴染み深いのではなかろうか。そんなテルマエ、共同浴場に運動施設としての役割があったことは意外と知られていない気がする。この施設の中にある体育場という場所には、大小様々なプールがあったらしい。

元々裸体で運動をするギリシア式の習慣への拒否反応があったローマ人だが、こと共同浴場では男性は全裸になることが決まりだったようだ。そのような環境がローマ人男性の心に火をつけたのかも知れないが、共同浴場は情事の場と化していったとある。いわゆる、ホモセクシュアルな領域だが、その指向性はローマ人の美意識「男としての美しさ」に繋がる部分である。

例えば、「美男」とは、巻き毛でいい匂いがして脱毛処理がされていて女たちと無駄話に花をさかせる者のこと。ただし、それは男らしさのモデルではないことは歴然たる事実である。美徳など概念的な素養を備えたローマ人のセンスを鑑みても、あくまでも外形的趣味嗜好の価値観であろう。ただ、そのトレンドも貞潔を称揚するキリスト教による同性愛の排斥という一つのきっかけによって、衰えていくのである。

ローマ人の男らしさ-ⅰ 道徳観   ~美徳なくして気高さはない~
男とは、すぐれた兵士であり、清廉で名誉を重んじる者でなくてはならない。
「美徳」「名誉」「誠」。この3つの美点は擬人化、更には神格化すらされた。ローマ人が男らしさとは何かを考える時、必然的にこの3つが伴っているようである。

ローマ人の男らしさ-ⅱ  戦争  
ここで再度、兵士という存在性に拘ってみたい。やはり男らしさを語る時、戦争(兵士)は避けては通れないし、男としての要点として極めて重要である。兵士としての美徳、戦争における勇気、そして男らしさとは、まず肉体的な勇猛さに表れる、という。
すなわち、ローマ人(ローマの男性市民)であるということは、「不屈の勇気をもって物事をやり遂げ、耐え忍ぶ」ことであり、故国の為にその身を犠牲にすることなのだ。勇気と肉体的な忍耐力が記述される時は、おしなべて「強靭な」という形容詞が何度も執拗に繰り返される。それは本質的に戦場その他で示される勇気と忍耐力のことである。
ローマにおいて、男性市民が美徳を発揮する絶好の機会は、戦争なのである。

ローマ人男性の精神性     ~羞恥心と自制心~
精神性や感情表現は、現代男性とも対比しやすい自己表現の一つである。
 例えば「羞恥心」である。
当然、ローマ人男性も人としての感情の起伏を有するものである。が、それを大っぴらに 表すことは女性のすることであり、激した感情表現は男性的でないとみなされた。恋人が死んだ時、感傷的に女さながら泣くことではなく、悲しみを内に秘めて苦難を乗り越えることである。それが男らしい男のとるべき態度である。
そして、自制心である。自制心はローマ人が考える男らしさの基本的な基準であったという。自制心と自己抑制は、ローマ人男性を女性や蛮族から区別するものでもある。自己制御の欠如は、女々しさの典型的な態度なのだ。自制心たるその自己抑制は、日本男性の気質にも繋がるのではないだろうか?

多少強引ではあるが「武士は食わねど高楊枝」「やせ我慢」の発想と繋がる気がしてならない。国や時代は違うわけだが、男としてのそんな親和性があってもよいのではと思ってしまう。

男性至上主義が幅をきかせる、地中海社会の典型的な特徴が感情の表出の仕方にも表れている。男らしさの表れなのだ。