2024.06.20

武士道の追究➊                 「やらかしてしまうオジサンたち」

武士道の追究➊                 「やらかしてしまうオジサンたち」

<提言>

「現代日本人に多発する非常識な言動」                                   「品性/品格の欠如」        ~その主因を追う~

この2つの疑問に象徴されるような言動が頻出する、いまの日本社会。                        現代社会のあり方、人心とは?何に迷いどこを彷徨っているのか?

<どうしたオジサン>

還暦越えの自らも実のところ日々恐々としながら社会生活を営んでいるといえる。                        政治家でもないので自らメディアを通じて公的な情報発信をする機会は無いわけだが、「発言」という視点では公私含めた日常生活の至近距離に「言葉」という武器が存在している。いつ踏んでも踏ませてしまってもおかしくない、まさに地雷だ。

言葉として何かを発する機会において、最近「やらかしてしまった」人が多いことが妙に気になる。              思わず口が滑ってしまった!ということは、多少なりとも誰もが経験しているかも知れないが。               それにしても・・。

例えば先生と呼ばれるような公人が心構えや事前準備可能な発言の場で口を滑らせてしまっている。一体、何がそれをさせているのであろうか?と素朴な疑問がわく。該当しそうな答えの1つとして「驕り」がある。自らを裸の王様、と自嘲するのは自由だが、頻出することには何か客観的な理由が存在するはずである。

稀有なことでもなく、いとも簡単に口が滑ってしまう(ご本人にしてみると自らの心に誠実で真意に満ちたお言葉、うっかりの発言ではなさそうでもある)そんな場面を幾度となくニュースで観るたびに素朴な疑問は膨らむばかりだ。特に歳を取ってから、しかも名が知られるようになってから、自らの不始末でメディア(国民)の面前で謝罪会見をするような経験だけはしたくない、と思わないのであろうか?保身ということでもなくそれを回避したいという忌避本能は普通にあるはずである。例えば、過激な政治思想を掲げ失言に至った、というような事柄であれば解釈の仕方も違ってくる。事態はもっと低レベルであり、日々の行動に問題が伴っている場合も多く、謝罪への導線はとにかく恥ずかしく陳腐な出来事に覆われていることが多いのである。                          本来、自らのこととして非常に耐え難いことであるはずなのだが。                                 近頃、日常の生活が窮屈になった気がする。社会や他者の視線、SNSを介して生まれる世間の評価など、とりとめのない言葉や感覚に支配されている。                                           そんな支配への反逆?抵抗?でもなさそうである。

「なぜ、そんな言動をしてしまうのか?」という極めて素朴な疑問の根拠、答えを探ってみたい。

おじさんにだけ該当する話でもないが、ステレオタイプ的にマイナス印象を持たれがちなおじさん達の印象の刷新に繋がれば、そしてせめてその理由らしきものに近づき、相互理解の中で何か進歩的な考察や会話のきっかけになればと思うのである。                             

理由への導線、根拠の所在

その回答は、極めてあっさりと、ある書籍の中に明確な形で存在していた。有名な書籍なので、既に多くの方が同様な認識をお持ちかも知れないが。

「新渡戸稲造 新訳 武士道」に学ぶ

■原作者:新渡戸稲造(にとべ いなぞう)日本の政治家、思想家、著述家、教育者。                             五千円札の肖像画としての認識は高いのではなかろうか。

この「武士道」は1899年(明治32年)に新渡戸氏が療養のために滞在していた米のフィラデルフィアで刊行されたものである。日本古来の道徳体系や思想を世界に向けて説いた名著である。

実は今回、冒頭の疑問に対する答えを探す中でこの書籍に出会ったわけではない。                                                     男たちの郷として、男らしさの探究として武士道は必読すべき書物としていた。読み進めていくうちに導かれたことは、男らしさの領域というよりは、道徳的な教義という視点であり、日頃から釈然としていなかった上掲を解決できそうな文脈に出会ったのだ。

そうは言っても道徳思想の話しは感覚的には理解できても回答への道のりは遠いもの。                                         敢えて少し枠を広げながら、武士道の世界を探っていくべきことと深く感じたのである。

「武士道」の歴史の起源は古代日本

神話から歴史の世界へと各時代の積み重ねの中で、様々な文化や事象と共に日本人の思想や道徳観は育まれてきた。武士という階級社会の時代に至っても、その思想の中に日本人独自の観念が醸成し続けた。

まずは新渡戸氏の「武士道」執筆への経緯に触れてみたい。

素朴なる疑問、その答えの発見を予見させる印象深い問答が「初版への序文」という冒頭の文章から目に飛び込んできた。新渡戸氏とベルギーの法学者ラブレー氏の散歩の道すがらの会話である。                           ラブレー氏から日本の学校での宗教教育の有無を尋ねられ、その答えに苦慮した一節がある。

「無宗教!それでどうやって道徳教育を授けるのですか」。「一体、日本人は何に基づいて物事の善悪の判断をしているのか?」との立て続けの問いかけに新渡戸氏は適切な答えが見つからず戸惑った。それは外国人からの素朴な疑問に心を揺り動かされた一瞬であった。

日本では、神道や仏教が敢えて宗教という表現を使うまでもなく自然に同居している。神仏習合から分離へと時代に翻弄された過去があるが、日本独自の宗教的な思想は、特に元々農耕民族の我々にとっては生活と密着した形で多くの神々が身近に存在していたことに大きく関わる。道徳的な観念を含めて生きる上での信条、その実態として宗教性に類するものは常に生活と隣り合わせのものであった。八百万の神々が存在する世界観の中で補填関係でもある神仏の習合体の概念は、道徳的な思想を含め、「学び得る」ことではなく、「伝承され備わり続けている」、との解釈の方が馴染む気がする。

信仰として「学ぶという行為」が必須要素だと捉えた場合、そこには規定や規律、体制化という言葉が伴う。自然に伝承され続けてきたことは、学校のような組織体などで制度的に広範に形付けられ、教授されたものではなく、地域や村などの単位、ある意味隔絶された環境と慣習の中で漂いながら生き続けてきたもののような気がする。

後々の神仏分離と神道の政治利用は日本人の宗教性の分断と精神的な彷徨を加速的に導いたのではないか。道徳的な観念ですらきちんと語ること、教授することに怠慢になってしまったのが我々日本人であるのなら、それこそ神仏に対する背徳以外の何物でもない。道徳心を入り口に宗教を語ることは決して無理なことではなかったはずである。

「武士道」の本章に話を戻します。                                                                   新渡戸氏は、道徳教育として「何が自分の善悪の観念のもとになったのか、あれこれ考えてみたところ、武士道こそがこれらの観念を私に吹き込んだのだ」と語り、しつけられた徳や戒めは学校教育からの教授ではなかったと表現している。脈々と続く武士道の精神の中に日本人の道徳規範、その根源を見つけたのである。

「武士道の源泉について」

新渡戸氏はその書き出しから、武士道を日本の文化として捉え、「桜の花にも劣らない国土に根差した花である」、そして「今なお私たちの力と美の生きた源泉・・」と強く説いている。更に「封建制度の子供である武士道は、その母親よりも生き延びて私たちの道徳の道筋を照らし続けている」と武士道を不変的価値のある道徳システムとして位置付けている。そして何よりも明治期に著作された「武士道」でありながら、現代人にも理解、共感できるような哲学的な内容であることがそのことを強く裏付けている。武士における道徳原理、武士道としての思想・教義の源泉を中国の宗教思想と日本古来の思想を挙げ、その根源を示している。

仏教 神道 儒教]                                                                                                                                                                                                       最初の1つが仏教である。「仏教は、運命に対する信頼の念、避けがたい事柄を静かに受け入れ、危険や災難に出会っても厳しく自分を律し、いたずらに生に執着することなく死に親しむ心をもたらした」と、日本に古くから伝わった宗教である仏教の影響を挙げている。

そして、特に日本人の民族的な精神の根源といえる神道の影響を示している。特に神道の教授は、主君に対する忠誠、祖先への崇敬、親に対する敬愛など他の宗教では教えられなかったものが神道の教義の中から注がれた。

特筆すべき点は、傲慢になりがちな武士の性格に「忍耐」や「謙譲」という徳が加えられたことと表している部分である。この謙譲は、日本人にとって今なお影響を与え続け、かつ重要な徳目の一つでもある。

そして武士道の3つ目の源は「儒教」だという。新渡戸氏曰く、道徳的な教義としては、孔子の教えが武士道の最も豊かな源泉となっていると説明している。5つの倫理的人間関係(主人と従者、父と子、夫と妻、兄と弟、友人同士)のあり方は、その穏やかで慈悲深い部分など元々日本人が民族本能としてわきまえていたものを孔子の教えによって確認した、とある。更に統治者はその徳をもって人民を治めるべきとした思想「徳治主義」をもって民主的な側面を与えたとある。                                  そして、孔子の孫にあたる子思(しし)の門下で儒教を学んだ「孟子」の教えを示します。その思想は孔子の教えに基づくものであったが、大きな違いは武力による君主交代を正当化した点である。孔子は武力による支配を否定し、仁愛による統治を理想としたのに対し、孟子は徳のない君主は、武力による交代も止むを得ないとした点である。民主的な理論から封建的な社会秩序への流れとして儒家の思想が与えた影響は大きかったといえる。

学ぶべき基本図書であった論語だが、議論を交わす拠り所でありながら、知識だけの自己満足者を「論語読みの論語知らず」と笑いの対象になった話は有名である。武士道の考え方は、知識は実生活において活用されるべきものとし、実際の行動を重んじていたことの表れである。そこに同じく中国の思想家である王陽明の「知行合一(あらゆる知識は日頃からの行動と一致しなければならない)」が説かれたのである。新渡戸氏は、この様に武士道が形成されていった東洋の宗教的な思想の影響を序盤で論じている。

武士道の成り立ちとして、まずこれら3つの源流を思想的な根拠としている。更に体系化、制度化されていった内容の詳細について次の項で探っていきたい。

参考:日本の思想  新訳「武士道」 (角川ソフィア文庫)                                                                                                                 新渡戸稲造 (著), 大久保喬樹 (翻訳)