静かな反骨
最近、とみに「頑固になった!」と言われることが多くなった気がする。
一般的に「頑固」という言葉は、あまり良い意味で使われない。人の意見を聞かず、自分の考えを押し通す。そんな人物像を思い浮かべる人も多いだろう。別に、そのマイナス印象に反抗しようというわけでもない。
ただ、どうにも気になる言葉なので、少し整理してみたくなった。
単純に頑固といっても、これが意外と奥深い。
あえて二種類に分けるなら、一つは自分の都合や感情に固執する頑固さ。もう一つは、自分なりの信念や価値観を大切にする頑固さである。
もちろん、頑固さに男女の区別はない。ただ、年齢や生き方によって、周囲が抱く印象はずいぶん変わってくる。
例えば、若い夫が意見を譲らなければ「意地っ張り」「自分勝手」。ところが年配の夫が同じことをすれば、「歳を取って頑固になった」「年寄りは人の話を聞かない」となる。
同じ行動でも、いつの間にか評価の物差しが変わっているのだ。
問題は、本人の主張の中身を吟味する前に、年齢という物差しだけで判断されてしまうことではないだろうか。せめて何を主張しているのか、そのくらいは聞いてから判断してもらえないものだろうか。
人間、長く生きていれば、それなりの経験を積む。時には痛い目にも遭い、自分なりの物差しを作ってきた。その物差しが磨かれ、時には固まっていくことで、いわゆる「こだわり」が生まれる。それが他人には頑固さとして映るのかもしれない。
ところが、おじさんからすると、相手から受けるその決めつけによって、逆に老化が加速してしまうのではないか。そんな怖ささえ感じるのだ。自分だけではないはずである。
さらに、頑固だと決めつけられることで、かえって頑固な態度を取ってしまうとしたら、これは大いなる不幸の始まりではないか。
頑迷固陋(がんめいころう)
頑迷固陋。古い考えに固執し、道理をわきまえず、他人の意見を受け入れようとしないことをいう。何とも厄介な四字熟語である。
ただ、他人から見れば頑迷固陋でも、本人にしてみれば、自分なりの筋を通しているだけという場合もある。
果たして変わったのは本人なのか。それとも、本人を見る周囲の目なのか。
結局、頑固さの問題は、自分の考えを曲げないことそのものよりも、他人の考えに耳を傾けられるかどうかにあるのではないだろうか。
聞いたうえで譲らないことと、聞く前から譲らないこと。似ているようで、ずいぶん違う。
六十有余年も生きていると、捨てられない経験が増えてくる。
失敗した経験、騙された経験、報われた経験。そして守ってきた価値観。そんなものが積み重なっている。
若い人から見れば頑固に映るものも、本人からすれば、長い時間をかけて辿り着いた結論に基づくことだったりするわけで。
もちろん、その結論が常に正しいと決めつけているわけでもない。むしろ今となっては、ジェネレーションギャップも含めて、疑心暗鬼な自分がいたりする。だから、「頑固になった」という実感や自覚は、意外と持ちづらい。
ただ、そんな弱気な自分へのジレンマが、ある瞬間、反発となって顔を出す。それが頑固さとして表れることもあるのではないか。
もっとも、そんな理屈とは関係なく、単なる雄叫びの一種なのかもしれないが。
それでも自分としては、頑固であることと、間違いを認めないことは別だと考えている。自分なりの正当性や正義、多少の自信と自我に対して、安易に蓋をすることはできないのである。
とはいえ、世間が思い描く頑固なおじさん像――「融通が利かない」「人の話を聞かない」「古い価値観に固執する」。そんな人物像に、自分も知らぬうちに近づいているのだろうか。単なる意固地なのか。それとも、守るべき信念なのか。その境界は、自分でも案外分かりづらい。
頑固さと、もう一つの厄介な事情
さらに厄介なのは、そこへ男性更年期障害というやつが顔を出すことである。
頑固さと男性更年期障害がどこまで関係するのかは分からない。ただ、以前より妙に腹が立つ。気力が湧かない。人の言葉を素直に受け止められない。そんな変化を感じることがある。自分はさほど変わっていないと思っていても、周囲からは以前にも増して頑固に映ることがあるようだ。
ここで気になるのは、本人の考え方が変わったのか、それとも心身の変化が日々の振る舞いに表れているのか、簡単には区別できないことである。
もともと不器用な人間が、以前にも増して不器用になってしまう。そんなことだってあるのかもしれない。
男性更年期障害という言葉は、以前はあまり耳にすることがなかったが、近年ではメディアなどでも取り上げられ、広く知られるようになった。我々おじさん世代にとって、決して他人事では済まされないテーマである。男性ホルモンの変化などが関係する場合もあり、単なる性格の問題として片付けられない心身の不調が存在することは、知っておく必要があるだろう。その実態については、また改めて探ってみたい。
ところが、わが身のこととして考えると、話はそう簡単でもない。身近な人から「本当にわがまま、自分勝手!」と一蹴され、そこへ更年期障害の話まで持ち出されて、あえなくノックアウト。いやはや、余計なストレスは尽きることがない。
老化と更年期による変化の違いも、本人には判然としないことがある。ましてや、その陰にある事情まで、周囲に理解してもらえるとは限らない。
「頑固なおじさん」というレッテルが先に貼られ、肝心なことが見過ごされてしまう。
そこに、何とも割り切れないものを感じるのだ。
頑固は欠点か、矜持か
理由はともあれ、自分は「頑固」を全面否定する気にはなれない。
頑固という言葉は便利だ。相手が自分の意見に従わなければ、「頑固だ」の一言で片付けることができる。
考えてみれば、昔は「頑固おやじ」などという言葉があった。ちなみに「ダメおやじ!」というギャグ漫画も昔あった。こちらは少々、意味合いが違うけれど。
頑固おやじは決して褒め言葉の代名詞ではなかったが、どこか敬意や愛嬌も含まれていたように思う。
理屈っぽい。融通が利かない。少々面倒くさい。それでも「まあ、そういう人だからな」で済まされる余白が、社会にはあった気がする。
もちろん、ただのわがままや独善を美化するつもりはない。人の話には耳を傾けたい。間違っていれば改めたい。それでも、譲れないものがある。
自分の軸を持ち、自分の考えに責任を持つことまで否定される世の中は、少し息苦しい。
おじさんの言い分だからと、何の疑いもなく過去の産物として片付けられるのは、普通に悲しいことだ。
頑固だから問題なのではない。「頑固」という言葉で、簡単に片付けられてしまうことにも問題があるのではないだろうか。
頑固とは、時に欠点であり、時に矜持でもある。
そして、その違いを自分自身で見極めることも、どうやら簡単ではないらしい。
頑固上等
そんなふうに胸を張るおじさんが、もう少しくらいいてもいいのではないだろうか。
もっとも、その言い分を誰より頑固に主張している自分がいるのだから、少々始末が悪い。

