『記憶の復路』

忘れないと思っていた……。

先日、段ボール箱代の支払いを忘れた。
何も夜逃げの準備をしていたわけではない。EC商品の梱包用に購入したものである。
金額は5,819円。取引先から連絡をいただいて、初めて未払いであることに気づいた。

もちろん、支払うつもりがなかったわけではない。支払いの必要性は十分承知していたし、会社の口座とは別の口座から振り込もうと、そこまで段取りを考えていたのである。
ところが、忘れた。正確に言えば、忘れたことすら忘れていた。自分自身のこととして、収まりが悪いというか釈然としないものがある。

人の名前が出てこない。昨日の夕食が思い出せない。湯船につかりながら思いついた名案が、風呂を出た途端に消えてしまう。そんなことは珍しくもない。
だが、今回は少し違う。
支払わなければならないという認識があり、具体的な手順まで考えていた。それがいつの間にか頭の中から消えていたのである。当然、いつ消えたのかは分からない。

それ以上に不思議なのは、一度消えた記憶が戻ってこなかったことだ。
普通なら、何か別のことをしていても、ふとした拍子に思い出すものではないか。「あっ、そうそう。段ボール箱代を振り込まなきゃ」と。そんな瞬間が、どこかで訪れるはずだった。

ところが、今回はその気配すらなかった。少なくとも、思い出した記憶がないのだ。
私の頭の中では段ボール代金の存在が消えていたが、先方の帳簿からは消えていなかった。世間というものは、実に律儀にできている。今回の金額は5,819円。これが68万円だったら、果たして忘れただろうか。おそらく忘れていなかったような気がする。68万円、やはり、それなりの金額だ。残高確認をしたり、いろいろとこの件以外のことにも考えを巡らせながら、金勘定をしていたはずで、到底忘れるようなことではない。

どうやら自分の記憶力には、金額によって働きぶりを変える、少々不謹慎なところがあるらしい。もちろん、6,000円ぐらいなら忘れてよいという話ではない。先方にとっては、れっきとした売掛金である。そんなことは百も承知なのだが。

ただ、思い当たることがないわけでもない。仕事というものには、それなりの緊張感がつきまとうものだ。約束、期限、支払い、打ち合わせ。忘れてはならないことは山ほどあった。もちろん、それらをすべて頭の中だけで管理していたわけではない。
カレンダーに記す。小さなメモを残す。やるべきことの整理は当たり前の行動である。

職場には自分のデスクがあり、仕事を始める時間があり、一日の流れがあった。その一定のリズムが、知らず知らずのうちに自分を律していたのだと思う。
ところが、仕事の第一線を離れると、当然、生活のスタイルも変わる。
以前ほど時間に追われることもない。日々の緊張感も薄れた。
それは本来、喜ばしいことである。生活スタイルの違いは、面白いことに形の上での違いだけでなく、これまでとは違う心のテンポまで変えていたみたいだ。

今は決まったデスクに向かって一日を始めるわけでもない。確認項目をその場で書き留めることもまちまちである。そのうえ、記憶力は若い頃と同じというわけにはいかない。もっとも、今回の失念がそのせいだったのかどうかは分からない。
ただ、忘れないための対処を無意識のうちに自分の記憶力に委ねていた部分もある。この無意識が怖い。要は気の緩み、手抜きと同じことである。

時計の針を自分のリズムで動かすことができる今。
確かに、週の頭から一献傾けたくなる衝動が身近になっていた記憶はある。そんな記憶は残っていたりする。
結局、基本は基本なのだろう。特に自分のような不埒な輩には、これまで通りの厳守すべきルールが必要なのであろう。当たり前のことを当たり前に続ける。せめてそうするべきなのである。

それにしても、あの5,819円は、いったい私の頭のどこへ消えてしまったのだろう。今となっては、支払いを忘れたことよりも、忘れていた間、何の疑問もなく暮らしていた自分の方が不思議である。
実行すべきことは明確である。ただ、そんなメモ1つにしても、小難しいことを書き留めると、後からその短い文章の意味が分からず、首をかしげることもある。
さらにせっかく書き留めた小さなメモが見つからない。やっと見つかってひと安心。

これはもう仕方のないことだけど、それもまた、緩やかな時間ではあるのです。

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