今日の寸言!ひとりごと

 今日の寸言!

不器用を美徳にかえる

ひとり言を無意識にいってしまい「うざい!」と言われてしまうおじさん。
ちょっと真面目に呟かさせてください!
自らを確認する意味でも
・・
言葉を通じて自らと対峙する機会が必要な気がする。
些細なことに目と心を止めてみる。
小さなことの積み重ね。貯金箱が5円玉でいっぱいになる。
そんな質素で素朴な幸せ。

【2024.12.30】  ~評価と判断~
仕事関係者も友人も周辺には多くの人たちが存在します。ひとは無意識に何気なく他者を評価し、判断しています。他者への評価は決して悪意があるわけではなく、むしろ興味であったり、好意的なことであったりします。動機がどうであれ決してひとがひとを評価する、そして判断することなどできないことのはずです。それなのになぜ評価し判断したがるのか?そこに内在している自らの心理にもっと目を向けてみてはどうだろうか。

【2025.1.14】  ~後悔と素直さ~
いつも普通に存在している人もいなくなる。相手がどんな人であろうとお互いにとっての永遠はない。それを頭の中で分かっているのなら、1分1秒でもその人がいる時に素直になって接する。人間の尊さ。 

【2025.1.15】  ~性格~
ひとにはそれぞれの性格というものがある。知らず知らずのうちに良くも悪くも自らで纏っている性格たち。自分が嫌いな性格を消滅させる薬はない。全て自分自身の姿、存在の証。 そう、良くも悪くも愛着を持って育てれば、いい子に育ちますよ。

【2025.1.19】  ~魂の涙~
近しきひとが永眠した。在宅でのお見送りであった。
ひとが息を引き取る瞬間がある。
肉体は自らでその存在の継続を諦める。
一方、魂は肉体との離脱に戸惑いつつも、これ以上はないほどの愛情に覆われ安堵する。
天に召されるそのときに頬に伝わった小さな涙。
親子のつながりの究極の証がその一瞬に存在した。

【2025.2.8】  言葉との出会い-1
言葉というものに改めて敏感になってみた。
ふと目にとまった「時薬」(ときぐすり)という言葉に感じた興味。
「日にち薬」「時薬(じやく)」(仏教)など幾つかの表現や見解の広がりもある。
その意味。「時は全てを癒す」「時がたてば良い思い出になる」
その辺が一番近いようだ。
つまり忘れること自体を問い詰めることではなく、時を経た心の熟成という変化の妙なのだ。

マルオ

【2025.2.10】 役目
普段から身近な言葉のひとつ「役目」。時、場所、場面に応じた役目がある。おじさん達にとっては無理なく喜びを感じられる範囲内で実行できる役目が理想。職場では自らの居場所がなくなっていくおじさんたち。全速力で走ることでもないし、長時間踏ん張り続けることでもない。時として立ったバッターボックスでたまにはクリーンヒットを披露する、そんな役目でもみんなの喜びにならないか?
もうヒットなんか打てない?でもせめてウエーティングサークルでビュンビュンとバットを振る、その気概は失ってはいけない。

【2025.2.14】 日本語 心くばり
改めてこう表記してみると、なんて良い言葉なんだ!とつくづく感じる「心くばり」。相手を大切に思うからできる心くばり。相手に喜んでもらいたい、健やかでいてもらいたい。そんな自らの愛を伝えること。相手の心に寄り添った行動。心くばり・・してる?変に意識してするものではないけど自分自身も笑顔になれそうな行動だ。おじさんたち、、心が貧乏になってないだろうか?
‘照れながらさりげなく’ 心くばりができたらカッコいい!

【2025.2.17】  足るを知る
「足るを知る」仏教の教え。既に耳慣れた言葉、その解釈は?
物欲、所有欲などとめどない欲に支配されそうになる。どうしたら逃れられるか?そんなレベルでの藻搔きだから、すぐに欲が近寄ってくる。その多くが自己本位の考え方に過ぎない。
稲盛和夫氏が語っていたこと・・
汚い心の起因である本能と煩悩。それを抑えることにより、自然と優しい思いやりの心が出てくる。幸せである自分の今に感謝しながら生きる。
それはひとへの喜びの伝授、優しさや思いやりの心の現われになる。
足るを知ることの本質は優しい思いやりの心の醸成ということなのだ。

【2025.2.22】  逆行
世の中は「無理をしなくていい」という時代のようだ。
格好つけない/背伸びをしない/したいことをすればいい/という。
確かに一理ある。

だけど男たち、おじさんたちは格好つけたいし、まだまだ背伸びをしたい、というか力尽きた自分でありたくない。
いやいや・・「ざるを得ない」のが現実だったりする。男たちの今の居場所は剣が峰。そんな緊張感を味わう・・ぞ。

【2025.2.22】 お辞儀
頭を下げて誠意をもって丁寧にお願いすること。
それができれば人生の9割が喜びとなるでしょう。
そして残りの1割はあなたの努力次第なのでしょう。

こんなお言葉をいただきました。附則なし!

【2025.2.24】 お寺 法要
玉縄山珠光院 「貞宗寺」 (鎌倉市植木)
貞宗寺は、この地で隠居されていた徳川家二代将軍秀忠の祖母貞宗院ゆかりのお寺である。貞宗院が1609年に亡くなったのち、遺言により1611年に開山された。檀家を取らずに将軍のみを弔う寺院として存在してきた。

歴代将軍が遷化すると幕府より位牌が届き現在もその位牌が残っていて拝覧できる。多くの花が見られる境内はさながら花浄土。植物好きだった義理母が安らかに眠っている。

【2025.2.28】 澄月寺 お墓参り (青森県十和田市)
明治元年の会津戦争の際に戦死した藩士約三千人を供養した「戊辰戦争戦死者招魂碑」が境内に建立されている。
前職の上司のご実家が十和田市にあり、この澄月寺に眠っている。急に足が向いて訪れた。若くして天国に旅立ってから17年近く経ってしまった。
明日、3月1日は誕生日。
人気のない境内は冷たい空気と重なって凛とした雰囲気に包まれていた。
思わず声に出して墓石に向かって会話をしていた自分。その声はきっと天国に届いたと思う。

ピンク甲州野梅

【2025.3.3】 季節 梅春(うめはる)
冬明けから春の到来までの期間のこと。主にファッション業界で使用される言葉。以前、アパレルのPRに携わっていた時、この言葉と出会った。日本っぽい情緒ある表現。
この僅かな期間に展開する商品とその作り手、着る方の思い…季節のうつろいと人々の生活の距離感が近かったのでしょう。いまは・・?

草ボケ(しどみ)

【2025.3.10】 春の気配☘️
三寒四温という言葉に呼応するようにこの時期、自然のいとなみは繊細な変化の連続である。恐らくウグイスであろう一羽の野鳥が朝練を始め出した。まだまだ何やらひとり言を呟いているようだ。頑張って。

一方、わが家の狭小なる盆栽棚では草ボケの花がほころびはじめた。それぞれの鉢からそれぞれの小さな息吹きをあげ始める。冬のような寒い日があっても、もはや立ち止まることはない。その小さくとも力強い謙虚さは、忍耐を経たが故の自信の表れであろうか、自然は自然に対して謙虚である。

【2025.3.14】 春の香り☘️
春を感じる五感の中で、香りの代表選手、沈丁花が咲いた。
覆輪の白花はちょっと珍しい。この品のある香りの特徴は、その名の由来の通り、沈香(じんこう)の「甘さ」である。
因みにこの沈香であるが、主に東南アジア諸国の熱帯地域で沈丁花科アキラリア属の木がもとになっている香木のこと。木に外的ダメージが生じるとその傷を治そうと自らで樹液を分泌して、やがて樹脂に変化する。その樹脂の成分が長い年月をかけて熟成変化して独特の香りを放つようになったものが沈香である。
なんか素敵な自然治癒力。おじさんにこの技があったらいいのに

【2025.3.17】 八方塞がり、、 
「反対側のドアが開きます!」とエレベーターでアナウンスが流れることがある。もし、「どちら側のドアも開きません!」とアナウンスされたら、、
まぁ、そんなことはないのだが、長く生きてきた中でそんな状況に陥ったことはある。当然、密室に閉じ込められているわけではないので、動くことはできる。底なし沼のループではない。ここは奈落か?右に行っても左に行っても果てしなく続くこのどん底。もうこれ以上のどん底はないからと自らに言い聞かせながらの小さなファイト。どん底こそ、最期の救いの底のように感じる。
奈落だけど行き止まりの底だから。
でも、潔く、、なんていう余裕があるわけではない。せめて腹を据えてやせ我慢をして、天を仰ぐしかない。あとは上に登るだけ。低い階段でも登れば景色が変わる。どこまでやり直せるかは人それぞれだ。
そして最後、おじさんは天に昇るのだ!人生の醍醐味だ!

【2025.3.22】 自己矛盾、、 
おじさん9割がダメオヤジ❗️って誰かが言ってた。
それはないと思うが・・。
おじさんは時として正しい答えが書いてある参考書を放り投げたくなるんだ。

【2025.3.22】 実行できてますか? 
世の中は簡単そうで難しいことだらけだ。誰しもが人を大切にすることの重要さは理解している。何をどう相手に伝えているのか?「所作」として「言葉」として「行動」として、そしてそれを「継続し続ける」こと。

【2025.3.28】 ユスラウメ(和名)が咲いた
「梅桃、桜桃、山桜桃」などと梅と桜と桃が混ざった名称表記だが、バラ科サクラ属であり、その性質は存分に発揮された花姿である。和名ユスラウメの由来についてであるが、植物学者の牧野富太郎氏によると、食用できる果実を収穫するのに木をゆするのでこの名がつけられたのではないかとしている。
ゆすられた上に名前まで付けられてしまったのですが、原産は中国北西部~朝鮮半島、モンゴル高原だとか。日本へは江戸時代初期にはすでに渡来していたようですが、地味だけど風情があると思いませんか・・。

【2025.3.30】 染井吉野(ソメイヨシノ)満開!
桜といったらこのソメイヨシノを思い浮かべる人が多いのではないだろうか。そもそもこの桜であるが今に至っては日本には600種以上もあるという。
超ビックファミリーなのだが、元をたどると11種の野生種から派生したという。自然界でも交配が容易に発生したようでそれでけでも100種以上もある。
この染井吉野は園芸品種であり、エドヒガンとオオシマザクラの交配。
江戸時代後期、大名屋敷の日本庭園を管理する植木屋が集まっていた江戸の染井村。染井吉野はその染井村+植木屋の存在から生まれた物語と言えよう。
エドヒガンとオオシマザクラが染井村で自然交雑、もしくは人為的に交雑させて誕生した?一方で各地から採取されたサクラ中にあったエドヒガンとオオシマザクラの雑種の1本を親木として接ぎ木と挿し木によって増やされ広まった・・など。
ヤマザクラの名所「吉野の桜」の名を借りて「吉野桜」として売り出して、明治時代に日本全国に広まった。江戸の園芸ブームそして明治へと日本人の桜に対する傾倒はいまも途切れることはない。

【2025.4.3】深雪桜が咲いた・・
 深雪桜であるが、ある盆栽園の棚で5年程前に出会った。桜は枝が枯れやすい。持ち崩して今の形であるが今年は花を付けてくれた。ただ、改めて深雪桜を調べてみたのだが、検索でヒットするのは「霊宝館の醍醐深雪桜」だけでしかもしだれ桜。花色も違う。名前の由来は何だろうか?実は近しき人と同名で・・。

【2025.4.5】「馬酔木(あせび)」が咲いた・・
馬酔木。葉にグラヤノトキシンなどの有毒成分が含まれていて、馬がこの葉を食べると毒にあたり、酔ったようにふらつくようになる、そんな木として命名されたようだ。これも人間の勝手であり植物に罪は無い。情緒ありながら豪華な雰囲気も醸し出していて素敵ではないか!

【2025.4.6】三回忌 總持寺
總持寺(そうじじ)で叔母の三回忌法要がとり行われた。鶴見にある総持寺は、曹洞宗の仏教寺院である。永平寺と並ぶ日本曹洞宗の大本山。1911年に石川県鳳至郡門前町から移転された。何度来ても迷ってしまう広さである。
多くの著名人が眠っている。

【2025.4.7】スミレたち

日本に自生する野生のスミレは約80種、変種などを含めると200を超える品種があるようだ。

この季節、身近なところでスミレの開花が始まった。まずはタチツボスミレ。山間の木陰など比較的日当たりの悪い場所で見かける淡い紫色の花弁と丸い葉が特徴のスミレ。
それとは対象的な路地スミレ?野路スミレ?この辺の違いも微妙だ。こちらは日当たりを好む。名前の由来につながるのか?歩道脇のアスファルトの隙間で力強く咲き誇っている姿をよく見かける。日当たりを優先? 種を飛ばしても地面に無事着地出来なさそうな気がして心配だ。夏場の温度も相当高そうだ。白花も見つけた。それぞれの可憐さがある。道の片隅で力強く咲く、そんな春を象徴するスミレが好きだ。踏まないでね。

【2025.4.12】サクラソウが咲いた。「駅路の鈴」。
サクラソウの歴史は古く江戸時代まで遡る。荒川流域の一帯、下流の戸田ヶ原、浮間ヶ原などは原種の自生地としてかつて有名だった。また「田島ヶ原サクラソウ自生地」は、いまは国の特別天然記念物に指定されている。江戸時代からサクラソウの名勝地として人々に親しまれてきたのだ。江戸の文化の継承。現在栽培されている約300品種は原種から作出されたわけだが、花型と繊細な花色の豊富なバリエーションは多くの人たちの心を魅了する。お江戸日本の伝統的な古典植物である。
今回我が家で咲いたのは「駅路の鈴」。江戸中期に作出された品種。桃色で白覆輪、「目(花の中心部)」は白。咲き方は梅花咲き。この細かな花芸が人々を虜にしていきた。

旗本や御家人などの武士階級は、新花を持ち寄って互いに品評したのである。江戸幕府の崩壊と共にこのブームも衰退に向かったのだが、明治から昭和へと時代が変化していく中でも愛好者は途絶えることなく今に続いている。

この時期、屋根付きの五段構造の展示台に様々な品種を飾り立てるサクラソウ展示会が開催されている。是非ともこの伝統園芸の灯を後世に伝承すべく足を運んでいただきたい。

【2025.415】坪庭の息吹 山吹草と一輪草

狭苦しい敷地。日当たりも今一つなのだがそんなスペースで今年も開花してくれた宿根草の2種。「山吹草と一輪草」。ヤマブキソウは低木のヤマブキに似た山吹色の花を咲かせることからその名がある。ちょっと可哀想な気がするけどよくある話。この鮮やかな山吹色はお見事だ。方やイチリンソウもヤマブキソウと同じく、木陰の草むらや林床で見かける代表的な春の植物。地下茎が這うように伸びて増えていく。最近はヤマブキソウの陣地までその根は及んでいる様で今後が心配。イチリンソウの白い花はまさしく純白。緑と黄と白のコントラストが絶妙である。花の競演の後、晩春ごろから葉が枯れ始めて、初夏には地上部が枯れて、来年の春までを地下部のみで過ごす。
なんか休眠って良いかも!!

【2025.417】坪庭の息吹 シャガ

シャガが咲いた。シャガは和名で「射干」と書く。アヤメ科で学名は「Iris japonica」だが、原産は中国東部~ミャンマーである。
確かにきちんと観察してみると白地に青い斑点が入るこの小さい花の姿、あやめに似ている。
日本各地の低地や人里近くの森林の木陰に見られる常緑多年草。
この奥ゆかしい派手さに心が惹かれる。

【2025.4.20】坪庭の息吹 シラユキゲシ

シラユキゲシ。白雪芥子と書く。名前の通りケシ科のようだが、原産は中国南西部から東部の標高1400~1800mの藪や森林地帯である。

白い花の中心部に黄色の雄しべを纏うその姿はケシの花を感じさせる。こちらも半日陰に生える多年草。下草として大地に支えられながら咲き誇るその花びらは繊細である。所在は地味だが花自体は特にその色調たるや厳しい冬を乗り越えて思いっきり開花する躍動感に満ちた色調だ。早春の花の個性かも知れない。

【2025.4.24】坪庭の息吹  ヤマシャクヤク(山芍薬)

ヤマシャクヤクは山地の林床に生える野生のシャクヤクである。本州、四国、九州および朝鮮半島に分布する。

白い5弁の花で5cmぐらいの大輪、白い花弁に黄色の葯が映えていて優雅さがある。ただ、2~3日で散ってしまう。散るというよりは、落ちると言った方が相応しい表現かも知れない。実は撮影をしていた時に手前の花弁がぽろっと落ちてしまい、そーっと添え直して撮影した。短命花。これを単なる定めとは言いたくない。この潔さこそ、わが郷に通じる神髄と重なる部分を感じる。因みに花後はやがて結実し、その種子は黒く、赤く色づきその色彩はとても美しい。

【2025.5.1】坪庭の息吹  シロヤマブキ

シロヤマブキ(白山吹)が咲いた。一般的な山吹色のヤマブキよりも珍しいので植えてみた。

細かい情報になるが山吹色のヤマブキは花びらが5枚または八重咲きでありヤマブキ属になるが、このシロヤマブキは4弁の白い花を咲かせ、秋に黒く光沢のある実を4個つけるのだが、シロヤマブキ属に分類される。この実であるが地味だけど結構の間、枝先に残っている。それはそれで風情があるけれど・・。ふつう植物は鳥などに食されることによって生息の域を広げていくので人気がないのは美味しくないからであろうか、春先まで残っているのは心配である。
ところでよく似ている樹でヤマブキ属のシロバナヤマブキがあるという。
花びらが5枚で、茶色い実をつける。
それぞれの個性。大切に心得ていたいもである

【2025.5.4】坪庭の息吹  ホウチャクソウ(宝鐸草 チゴユリ属)

アジア大陸の東端全域に見られ、日本全国に分布。山地や丘陵地の雑木林などの樹間のひらけた場所に群生する。この独特の名前の由来であるが、京都の東寺の五重塔に施された宝鐸によるという。花が垂れ下がって咲く形状が似ているのだ。

宿根草で冬、枯れていた地上部が春になって芽吹いてこの可愛らしい花を咲かせてくれると妙にほっこりした気分にさせてくれる。
斑入りがその個性を引き立ててくれる。地味だが白と緑のグラデーションが美しい春の山野草である。

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