今日の寸言!ひとりごと
男たちの郷
ほっと一息
安住の居場所
  「この郷の話しとは?」

男~おとこ!と謳っているが、この期に及んでマスキュリズム的に男尊思考を再度肯定化したいわけではない。

男たちよ!何に藻搔いているのか?「男の生きづらさとか男らしさからの脱却・・」など表現や視点は様々だが、探さないと出てこないような小さな話題として据え置かれている気がしてならない。ダイバーシティという言葉におされながら、男たち、特におじさんたちは自分の存在価値に疑心暗鬼になりながら今の社会で生きている。例えば生きづらさという視点では、それは男たちに限ったことでもなく、総じて大変な世の中でもある。さらに、自ら評価を下げるような醜態をさらすおじさん達の存在も否めない。

還暦を過ぎた自分も生きることへの窮屈さを感じているのが正直なところだ。当然、その根拠は1つではない。
主因は個人的な問題かも知れないと自らを省み、人生の機微を解しているつもりだ。
おじさん本意と言われたら否定し切れないかも知れないが、特にSNSなどのメディアの猛進によって形づけられるおじさん像を修復したい気持ちは大きい。 やはり年齢を重ねれば女性の素晴らしさも人間関係の重要さもそれなりに理解している。
ただ自らに刻み込まれたオジサンイズムは安易には消せない。人間としての協調性・共感性を意識しつつも、もう少し男としての存在意義を認識し、「ほっ」としながら背筋を伸ばして歩を進めたいのだ。

  「学びの可能性」

「学び」と何か?この単純な言葉がやけに重たく感じる。
隣接する表現は「知識~情報とか教育、勉強、学校・・」など言葉自体は平凡ながらも挙げ出したらきりがない。ふと思うことがある。単純にもっと多くの「情報」を保有していたら自分が生きる世界の景色も違っていたはずだと。
それこそ、「情報とは?」であるが、簡略にいうと「既に存在している事実、もしくはその事実を何らかの配置によって理解が生まれる形に整理したもの」である。崇高な領域はともかく、この年齢になっても知らないことだらけ、情報不足な自分である。量も質も分野も問わず、もっと情報を保持していれば、違った知識や知恵への転換、何よりも他者への理解が深まっているはずだと思う。それは気づきとして多くのことへと昇華されるはずである。

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